「医者が患者を治す」って当然!?-治療的自己
タイトルに驚かれた方もいるかもしれません。「医者が患者を治す」なんて当然じゃ?と思ったあなた。今回の話はそんな話じゃありません!
今回は、医者という「薬」(治療的自己)についてのお話です。
これを知ることで、医者(治療者)が、どのように患者さんに向き合っているかが理解できるかもしれません。
医者という「薬」(治療的自己)が見つかった訳
医者にかかったことがある人なら、誰しもが「この先生、信頼できる!」とか「今日の先生はいまひとつだったな・・・」などといった感想を少なからず持ったことはあると思います。これは医療が人と人との関係である以上、必ず生じる感情で、ごくごく自然なことだと思います。
しかし、この感想がやがて自分の治療経過に影響してくると知ったらどうでしょうか?
ある面白い研究があります。患者さんを2つのグループにわけ、診療経験や年齢が全く同じ研修医に各々のグループの患者さんを担当してもらいました。一方のグループの患者さんは、非常に良い経過をたどったのに対して、もう一方のグループの患者さんは、不安を訴えたり、問題行動を起こしたり、果ては身体的な悪化もみられたそうです。
この違いは何から来るのでしょうか?それは・・・
医者の態度
すごく面白いと思いませんか?同じ医療をしていても、患者さんの行動や回復に影響を及ぼす医者の側面があるのです。
治療的自己 それは医者の個人的な資質のこと
医者は医療のプロフェッショナルです。しかし、受診する患者さんは十人十色で、患者さん自身のことは、患者さん自身のほうが詳しいのは当然です。
したがって、患者さんには自由に語ってもらう必要がありますし、それを適切に医学的に評価し、判断するのが医者の役割です。
治療的自己は、
『知識や経験、技法などを超えて患者の行動や回復に影響を及ぼす治療者の個人的な資質のこと』
という定義にあるとおり、いくら医学知識があったとしても、いくら優れた医療技術を持っていたとしても、患者さんに影響を及ぼす別の力があるということです。
そしてそのために必要なことが
客観的な観察
と
共鳴による体験
の2つである。と治療的自己を発見したWatkins先生は述べています。
Not Doing, But Being
心療内科を学びだして、間もない頃に教えてもらった言葉です。
「Not Doing, But Being」
日本語に直訳すると、「何をするかではない、どうあるかだ。」みたいな感じでしょうか。
もちろん何かをすることは重要です。しかし、それ以上に、どのように患者さんと関わるかは、さらに重要です。
したがって、この治療的自己を高める工夫を心療内科医は日々鍛錬しています。
まとめ
心療内科の治療において、最も重要と思われる概念「治療的自己」について解説しました。
治療・療養の上で、医療者との相性は治療上、非常に重要です。患者さんに信頼してもらえるように、日々精進です。